mikami lab.@北海道大学 科学技術コミュニケーション研究室

北海道大学で科学技術コミュニケーション・科学技術社会論を担当している三上直之のサイトです

仕掛人の戦略から考えるWWViewsとのつきあい方(2016年2月23日、国立環境研究所での講演)

(この講演の経緯については、このブログ内の別の記事に書きましたので、ご参照ください。)

本日はこの大変貴重な機会にお招きいただき、ありがとうございました。今朝は6時半頃に自宅を出て、新千歳空港で8:30発の飛行機に乗り込んだのですが、突然の大雪になりまして、飛び立とうにも滑走路の除雪が間に合わないということで、機内で3時間近く足止めをくいまして、羽田空港まで4時間半ほどもかかってしまいました*1。江守さんやスタッフの皆さんには、一体いつ到着するのか、そもそも今日到着するのかと大変気をもませることになり、皆様に大変ご迷惑をおかけすることになってしまいました。誠に申し訳ありません。

簡単な自己紹介から始めさせていただければと思いますが、私はもともと大学時代は、文学部の社会学専修課程というところの卒業で、その後数年間、会社に勤めておりました。諸々の事情から大学院で社会学を勉強しなおしたいと考えたのが、今から15年ほど前のことです。それで母校の恩師に相談に行ったところ、そのタイミングでちょうど受験できる大学院が、その年に新設される環境学の大学院だったということで、そこを受けてどうにか潜り込み、環境社会学の研究をすることになりました。もともと志していたのは社会学で、「環境」は受験のタイミングの都合で後からついてきたものだったのですが、6年半、環境学の大学院に通い、その後もテーマの重心は色々と変えながらも、環境学が自分の研究者としてのアイデンティティのかなり大事な部分になっています。

そのような私にとって、この研究所でお話をする機会を頂くというのは本当に光栄なことで、こうした機会をくださった江守さんを始め、研究所の先生方、スタッフの皆様に改めてお礼を申し上げます。

もう少しだけ詳しく専門分野を表現しますと、環境社会学および科学技術社会論となります。環境社会学は、多岐にわたる社会現象の中でも、環境問題や環境保護運動環境政策などを主な対象とする社会学の一分野です。科学技術社会論の方は、科学技術を対象とする人文社会系の研究(哲学や倫理、歴史、人類学、社会学など)からなる学際的分野で、その中で私は、もっぱら社会学的なアプローチを用いる研究者という位置づけになります。

主な研究テーマの一つとして、「科学技術への市民参加」についての研究に取り組んでおります。環境問題をはじめとして科学技術が深くかかわる社会的な問題について、市民参加による話し合いの場をつくるための方法の研究です。中でも、無作為抽出などの方法で社会全体の縮図となる十数人から数百人規模の人々を集め、そこで話し合われた内容を政策決定などに生かす「ミニ・パブリックス」という方法群に注目して研究を進めています。コンセンサス会議ですとか、討論型世論調査といった色々な方法があり、後でも少し触れさせていただきますが、そうしたミニ・パブリックスの手法を用いた会議を実際に開き、これらの手法の日本社会における活用可能性や課題についても検討してきました。

市民参加型の会議を自分で実際に参加者を集めて開いて、その場で起こるコミュニケーションを参与観察する、というのが、基本的な研究の進め方です。2009年の地球温暖化、2012年の生物多様性に関する世界市民会議(WWViews=World Wide Views)に関しても、そうしたアプローチで研究をしました。

同じようなアプローチで仕事をしている研究者、実践家は、外国まで視野を広げると結構いるようでして、世界市民会議を対象にした研究書もすでに2冊出ています。

Governing Biodiversity through Democratic Deliberation (Routledge Studies in Biodiversity Politics and Management)

Governing Biodiversity through Democratic Deliberation (Routledge Studies in Biodiversity Politics and Management)

そのうちの1冊、これは昨年出版されたばかりのものですが、そこには私も、大阪大学の八木絵香さんとの共著で、1章書いています。きょう先に講演された日本科学未来館の池辺靖さんたちが手がけられた生物多様性に関する世界市民会議の日本会議(2012年開催)を参与観察させていただき、事後には議事録も参照して参加者の討論過程を分析した研究です。

最初から研究の中身のマニアックな話になっておりまして恐縮ですが、自己紹介の代わりにということで、少しお付き合いください。世界各国で同時に、条件を統一して話し合いをして、その結果を比較すると、各国のお国柄が色々と分かって興味深いです。お見せしているグラフは、その論文の中で紹介したデータなのですが、各国の参加者に、「あなたはこの問題を議論するのに十分な知識、情報を持っていますか」とたずねた結果です。

この質問は、研究プロジェクトとしてのオプショナルなものでしたので、日本と欧州、米国の回答データしかないのが残念ですが、それでも比較してみると面白い。上から順に、日本、デンマーク、ドイツ、そして下の四つは米国のいくつかの州での参加者の回答です。グラフの色が濃い方、つまり左に行くほど十分な知識を持っている、右に行くとその逆で、自分は知識が足りないと思う、ということになります。非常に謙虚な日本人、楽観的というか自信満々のアメリカ人、その中間のヨーロッパの人たち、という違いがクリアに出ていて面白いのです。つまり日本の参加者はよく言えば謙虚ですが、「知識がないと議論に参加できない」と、もしかすると必要以上に思い込んでいる面がある、ということが示唆されます。

世界市民会議(WWViews)に対する疑問・批判の数々

それはさておき、世界市民会議という取り組みに可能性を感じて、自分でも実践にかかわり、それを対象にした研究もして、というようなことをしていますと、このやり方は一体何なんだという疑問や批判も、たくさん頂くことになります。

それぞれの国や地域の縮図となるようなかたちで集められた一般の人たちが参加して話し合う、ということがこの手法の肝ですが、ほとんどの参加者は、気候変動なりエネルギーなり、生物多様性について、専門知識を持たないふつうの人たち、ということになります。そんな一般の人たちが集まってたった1日話したぐらいで、地球環境問題について意味のある意見を形成することができるのかという疑問が出てくるのは、ある意味で当然のことです。

また、世界市民会議において参加者は、事前に設定された、定式化された質問について選択式で答えるかたちで、意見を表明することになります。後ほどまた話題にしますが、もっとみっちりと議論をして、参加者自身が論点を構築していくタイプの市民参加の手法と比べると、世界市民会議のスタイルは、ほんとうに「市民参加」とか「熟議」の名に値するものなのか、世界同時での開催とか、結果の比較可能性といったことを追求するあまり、市民参加としての実質がないがしろになっているのではないか、といった疑問も寄せられることになります。

さらに、議論の結果は、政策に何らかの影響力を及ぼしうるものなのか。それが不可能なら、この取り組みは無意味なお祭りさわぎでしかないのではないか、といった辛辣な批判を頂くこともあります。

要するに、ずばり言ってしまえば、世界市民会議自体が壮大な「ナンセンス」なのではないか、という疑念が寄せられているわけです。

これらの疑問は、いずれも、かなりもっともな面があります。私はこの世界市民会議というプロジェクトに可能性を感じて、日本では、おそらく池辺さんの次ぐらいには夢中になって、当初からあれこれ関わってきているわけですが、その私から見ても、これらの疑問や批判にはうなずけるものがあります。要するに痛いところをつかれているわけです。私も、大学院生の頃から環境学が専攻ということでやってきましたから、地球環境問題の原因や解決がそんなに単純な話、分かりやすい話でないことはよく理解しているつもりですし、世界市民会議が市民参加の方法として、どうにもゆるい部分があるという指摘も、市民参加を研究テーマとしてきた者としてはよく分かります。

「べき論」とは異なるアプローチも必要

しかし、そうした「べき論」をふりかざす前に、少し違う切り口でこの世界市民会議という対象を考えてみることも必要なのではないかと感じています。それは、こうした色々な疑問があるにもかかわらず、この取り組みが世界中の国・地域で、多くの人びとと組織を巻き込んで広がり続けているのはなぜか、という問いです。

この点に関して、先ほどご紹介した1冊まるごと世界市民会議の研究書の中でも、すでに色々な議論がなされています。リスク社会が地球の隅々まで覆いつくすようになっていること、グローバル化の進展は、非常に大きな背景の一つです。また国際政治におけるアクターの変容、というのも大きいかと思います。国際機関における交渉や議論は、初めは政府が主なプレーヤーだったわけですが、そこにNGOが加わり、さらにIPCCに象徴されるように科学、科学者が加わりということで、プレーヤーが拡張されてきたわけですが、それだけでは国際機関における交渉を正統化するのには不十分になってきた。いわゆる「市民の声」を直接聞くことが、正統性の確保のために欠かせなくなってきている、ということもあるでしょう。

新たな民主主義の方向性として、近年「熟議民主主義」ということが言われるようになっています。平たく言えば、選挙で代表者を選んで、その人たちの多数決で物事を決めるという、集計型の民主主義から、もっと話し合いを基軸にした民主主義が求められているのではないか、というような理論です。この熟議民主主義をグローバルな規模で実現しようとする試みが、今のところ不備は多いけれど、この世界市民会議なのだ、という議論も可能でしょう。こうしたマクロの社会変動について、理論的な考察を深めることは、この疑問だらけのプロジェクトがなぜ影響力を持ち始めているのかを考える上で有効だと思います。しかし今日ここでは、そうした高尚なお話とどこかでつながっているけれども、もう少し下世話なところから考え始めてみたいと思うのです。

仕掛人の意図に着目して考える

それは、この世界市民会議のコーディネーターたちがいったい何をねらっているのか、という点です。つまりは仕掛人の戦略に焦点を当てることで、この世界市民会議という現象とどうやって向き合って行ったらよいかの手がかりを得ることができないか、というお話です。

2009年の1回目の時からWWViewsを仕掛けているのは「デンマーク技術委員会」という組織です。英語ではThe Danish Board of Technology、略してDBTです。このDBTとは何者か、というところから、まずお話ししてみたいのですが、この組織は1986年にデンマーク政府のテクノロジーアセスメント機関として設立されました。

テクノロジーアセスメント(TA)とは何かと言いますと、科学技術に関する政策決定のため、当該技術の効果や社会的影響を独立の立場から評価する仕組みのことです。この「独立の立場から」というのがミソです。

新しい技術に税金をつかったり、法律で規制したり、ということを決めるのは、多くの国では議会の仕事であり、その原案をつくる行政府の仕事ですが、立法府も行政府も、必ずしも科学の専門家ではありませんから、予算をつくったり、法律をつくったりするのに十分な知識や情報は持っていない。それではと言って、個別に専門家に話を聞いて情報を収集しようとすれば、極端にある技術を推進しようとする立場からの情報をつかまされたり、その逆のことが起こったりというように、意思決定のための適切なアドバイスを得ることは簡単ではありません。

そこで独立の立場から新しい技術を評価し、議会や行政の意思決定を支援するしくみを整える必要があるのではないか、という話になってきます。こういう話が最初に盛り上がってきたのが、1960年代の米国でのことです。米国ではこの議論が実を結び、1972年、連邦議会にテクノロジーアセスメント局(OTA)ができました。今、この組織は廃止されていますが、全盛期は数百人の職員を擁して、多数の技術評価レポートを送り出していました。

このOTAの動きを大西洋の反対側から見ていたヨーロッパの人たちが、ヨーロッパにもTA機関をつくろう、という動きを起こします。そして1980年代に入って西ヨーロッパのいくつかの国に、TA機関ができます。その一つがDBTでした。

ヨーロッパに輸入されたTAの思想としくみは、米国ではなかった新たな展開を見せます。それまでのTAでは、対象となる技術などに詳しい研究者や、経済学者、倫理学者、ジャーナリストなど、その技術や周辺の事情について、専門的な知見を持っている人たちが評価を行っていました。そうした従来型のTAに対して、DBTを中心としたヨーロッパの人たちは「参加型(participatory)TA」という新機軸をうちだします。技術のユーザーであり、何か問題が起こった時に影響を受ける潜在的な被害者でもある一般の市民が、TAに参加する枠組みをつくるべきではないか、というアイデアです。

市民がTAに参加する、と言ってもどうすればよいのか。そのための方法としてDBTが1980年代後半に考案したのが、皆様、名前は聞いたことがあるかもしれませんが、コンセンサス会議です。このやり方が、世界的に大ヒットしまして、北欧、西欧のみならず、米国や中南米の国々、アジアにも持ち込まれました。「科学技術への市民参加」の世界的なモデルとなったわけです。

ちなみにDBTは、2012年に政府機関としては廃止されました。政府の科学技術関係の支出カットの対象になり、それまで得られていた交付金が打ち切りになったためです。それを機に民間財団に転換し、TAだけではなく、市民参加型の意思決定支援のコンサルタントのような形で、デンマーク国内はもちろん、全ヨーロッパ的に活動を展開しています。

私もこの間、DBTには何度か足を運んでいます。

こちらの写真にあるような雑居ビルの一角にある、まことに地味な事務所です。最初に訪れたのは2009年で、当時は写真とは別の同様な地味なビルに入っていました。世界をリードする参加型TA、科学技術への市民参加への総本山だから、どんな立派なビルの中にあるのかと思って身構えて行ったのですが、まるで質素なので拍子抜けしました。

設立当時からDBTのスタッフの一人が、今は事務局長を務めているラース・クリューバーという人物です。世界市民会議の基本的な構想は彼がつくりました。この分野の世界的な第一人者と言ってよいと思います。それと、ラースの腹心の部下で、今は民営化でできた財団の共同経営者ということになるのだと思いますが、世界市民会議のコーディネーターを務めているのがビョルン・ベッドステッド氏です。

ちなみにこの写真は、ラース・クリューバー氏のオフィスにかかっていたポスターなのですが、デンマーク議会の議員の写真が一覧になったものなのです。この写真をとった当時はまだ、政府のTA機関という位置づけでしたので、今では少し変わったかもしれませんが、DBTの大事なミッションの一つは議員に対して科学技術の評価についてアドバイスする、ということになりますから、つねにコミュニケートする相手である議員の顔を念頭に置いて仕事をしているということがよく分かります。

コンセンサス会議が母国で使われなくなった理由


コンセンサス会議については、お聞きになったことのある方が多いかと思いますが、これを開発したのが、まさにこのDBTなのです。1987年にDBTが最初に行ってから、すぐに世界中に拡大しました。「遺伝子組換え(GM)作物」「ナノテクノロジー」などのテーマでさかんに用いられました。日本でも何度か行われています。小人数(15人程度)での熟議と合意形成、市民パネル主導で議題設定をし、提言の起草まで行う、というのが大きな特徴です。

一時期は世界中で行われたコンセンサス会議ですが、ヨーロッパでも以前ほど行われなくなってきていて、母国デンマークでは、じつは2005年以来、コンセンサス会議が開かれていません。市民参加の手法は、コンセンサス会議のように少人数でじっくり議論を深めるものから、大人数のものへ、またデンマークならデンマーク一国で行うのではなく、多国間で連携して会議などを開く、という方向へシフトする趨勢にあるのです。

DBTのウェブサイトには、市民参加のコーナーがあって、そこにかれらが使っている手法のメニューが載っているのですが、そこからもコンセンサス会議という文字が消えています。代わって主流になっているのは、例えばCitizen Summitなどと呼ばれるらしいですが、もっと大人数型の会議です。世界市民会議は、この大規模化、多国間化をつきつめたスタイルだと言えますので、DBTとしては、これをコンセンサス会議に代わるグローバルな「ヒット商品」とすべく、flagshipとして一生懸命セールスに励んでいる、という状況なんだろうと思います。

では、市民参加が大人数、多国間・グローバル化という方向に向かっている背景は何か。一つには、市民参加のプロセスを設計し運営するのにかかるコストと、それによって得られるメリット、つまりは費用対効果に対する評価がシビアになってきていることが挙げられると思います。手間や費用をかけて、たった15人の意見を聞くというのは、割に合わないというような話です。政府内の独立機関だったDBTが廃止され、民間財団に転換したきっかけは、政府の支出削減でした。

また、参加型TAのアウトプットを政策決定への参照意見として用いる際に、その意見のもとになった市民パネルが本当に社会の「縮図」なのか、といったこともより厳しく問われるようになっている現状もあるかと思います。この点に関しては近年、コンセンサス会議も含む市民参加の手法が、「ミニ・パブリックス」という枠組みで捉え直されるようになっていることも注目されます。無作為抽出や割当などの方法を使って、社会の縮図となるような十数人から数百人規模の市民パネルをつくり、その市民パネルが議論した結果を政策決定に用いる手法の総称です。強力な意見を持つステークホルダーの声だけでなく、いわばサイレントマジョリティの声をも政策形成に反映する方法として注目されています。

コンセンサス会議もミニ・パブリックスの一種なのですが、同じミニ・パブリックスでも討論型世論調査のように百人以上、数百人規模で開催されるものもあり、この手法の場合、結果も、コンセンサス会議のように提言文書のような形ではなく、量的なアンケート結果の形で出力されます。参加者のリクルートもかなり厳密な無作為抽出に基づいて行っていますので、社会の縮図としての精度はより高くなります。こうしたものと比べた時に、コンセンサス会議は、参加者の間で熟議を深めるという点ではすぐれた方法かもしれませんが、政策決定に「使える」結果が出てくる方法かという目線で見ると、物足りない、という話にもなります。WWViewsはグループでの熟議や意見形成というコンセンサス会議の要素と、アンケートによる意見集約という討論型世論調査の要素を組み合わせた手法だと見ることもできます。

また、世界市民会議のような展開が出てくる背景としては、話し合うべきトピックそのものがますますグローバル化してきている、ということも、当然みておく必要があります。

DBTのコーディネーターが語る二つの戦略

じつはこのあたりのDBTの意図は、先ほどご紹介しました本の中に、ビョルンたちがかなりストレートに書いています。かれらはWWViewsを企画する上で重視しているポイントを、大きく分けて二つ挙げています。一つは政策決定者が「使える」量的な意見集約ということ、もう一つは国際機関や政府組織との密接な協働です。

まず一つ目の、政策決定者が「使える」量的な形での意見集約、という点についてお話しします。この記事の中でビョルンたちは、参加する市民自身が議論のアジェンダを形成していくような進め方こそ正当な市民参加である、という考え方もある、と認めるところから議論をスタートします。DBTがかつて手がけたコンセンサス会議は、まさにそうした手法だった、とも言っています。

しかしながら、WWViewsは国際的な議論・交渉に生かされる結果を届ける目的で開発しているものであって、そこでの論点は政策決定者の間で議論になっているポイントと一致せねばならない、と主張します。残念ながら、現状の国連のシステムは、一般の市民が提起するアジェンダを受け入れる体制にはなっていないからだと言うのです。

じつは、2009年に開かれた1回目のWWViewsでは、最終版のセッションで、グループごとに短い政策提言をまとめる、というアクティビティがありました。ところが、2012年の2回目からは、それすらもなくしてしまい、意見の集約は完全に、あらかじめ定められた設問に対する選択式の投票、という形になりました。「提言セッション」をなくした理由としては、大量の質的データ(市民の意見)を、短期間で処理するのは困難だとか、多岐にわたる意見を、政策決定者が理解しやすいかたちでまとめ、伝えることは困難といった理由が挙げられています。一貫して、政策決定者が使いやすい結果、もっと下世話な言い方をすれば政策決定者に売れる結果を、どうやって生み出すかということが追求されています。

こうした関心が、2点目の国際機関や政府組織との密接な協働という力点につながっていきます。

2009年の地球温暖化に関するWWViewsは、国際機関などとは直接の連携関係を持たずに進められましたが、2012年の生物多様性に関するWWViewsからは、生物多様性条約の事務局やデンマーク環境省と密接に協働する体制がつくられました。公式の承認を得てWWViewsを進めることで、政策過程につながりやすい問いを設定したり、鍵となるステークホルダーや国々との連絡、またWWViewsから得られた結果がCOPに導入されやすくすることなどが目指されました。

適切な問いの設定は、WWViewsのプロセスの要の一つだとビョルンたちは言っていて、これはたしかにその通りだと思います。ただこのときは、問い・情報資料づくりに際して、各国政府や利害団体に照会を試みたがうまくいかず、実際のところはWWViews参加機関と相談しながら作成したようです。このプロセスには池辺さんがかなりコミットされていて、デンマーク側が独断で進めようとするところに釘を刺したりという大事な役割を果たされていました。

ビョルンたちが、自分たちの戦略の象徴として挙げるのが、WWViewsの結果を取りまとめたレポートの名前の変化です。第1回目の温暖化のときは「政策レポート」という題名でした。市民による政策提言、という色彩がまだあった。ところが第2回目にはそれを「結果レポート」へと意図的に変化させた、というのです。あくまでも市民の回答を集約した結果がどうなっているかを報告するのがWWViewsの報告書の役目であって、市民が何か提言をするものではない、というスタンスが明確になっています。

おわりに


このWWViewsをめぐっては、ほんとうに研究すべきテーマに事欠かないです。

また次のWWViewsが近々、企画されているようですし、生物多様性条約の締約国会議(COP)の際には毎回開いてもいいんじゃないか、というような話も出ているそうです。さまざまな問題を抱えつつも、この試みが回を重ね、一定の影響力を持ち始めている現実は無視できないと考えた方がよいと思います。

少なくとも、素朴な「べき論」でもって、こんな取り組みはナンセンスだと切って捨てていてすむ段階は、おそらく過ぎたのではないかと思います。これを一つの社会現象として、多角的・批判的に検討するような研究は可能でしょうし、おそらくますます必要になってくるものと考えています。

ご清聴ありがとうございました。*2
(2016年2月23日、国立環境研究所「Future Earth/Transdisciplinary勉強会」で)

*1:ちなみにこの日、新千歳空港では、私が離陸できた後の午後3時すぎですが、日航機が誘導路を走行中に右エンジンから出火し、乗客が緊急脱出して、その際4人が負傷(うち一人は重傷)するという大変な事故も起こりました。

*2:この講演の内容は、科学研究費補助金基盤研究(C)「環境政策におけるミニ・パブリックス型手法の導入状況の分析と活用指針の開発」(課題番号:26340111)の成果の一部です。