3カ月間、父に家庭教師をしてもらって教わったこと
ひとりで少し集中したい時に立ち寄るファミレスが近所にある。今朝、ひと月ぶりくらいにその店に行き、コーヒーを飲みながら急ぎの仕事をしていると、すぐ隣の席に、たぶんまだ小学校に上がる前の女の子とそのお母さんが座った。
10分もたたないうちに、お母さんが怒りだした。
「頭の中だけで考えないで、ちゃんと鉛筆で書きなさいっ」
「何で消しゴム使わないの? 使わないのに何で持ってるの?」
算数のワークを解かせているらしいが、思いどおりにいかず、お母さんは明らかにいらついている。
「全然集中していないじゃない。顔を見れば集中していないのがわかる」
顔を見れば集中していないのがわかる、のですね。あぁ、そう来ましたか! 痛いところをつかれましたよ。私もお母さんの「お説教」を頂いて、ふだん自分もいかにも「集中していないのがわかる」ツラさげて勉強してるんだろうな、と反省しました(涙)。
それはそうと、自分も親として子どもの宿題をみた経験はある。それもヘタクソで、最後は子どもとケンカしちゃうような失敗体験ばかりだから、この場面でのお母さんのイライラはよくわかる。が、同時に「お母さん、子どもはそんなこと言われても萎えるばかりで、勉強が嫌いになっちゃいますよ……」と言ってやりたくなる。
けれども、あれこれ考えるうちに、こういういかにも評論家的な意見は、必ずしも正しくないのではないか、とも思い直した。30年近く前、私自身が父親に勉強をみてもらった経験が急に思い出されたからである。
私の父は食品メーカーの技術者だった人で、若い頃は研究所に勤めていたこともあった。たいへんな読書家で、家には本だけはたくさんあった(例えば漱石全集は、どういうわけか新しい版と古い版のふた揃いもあった)。出版社に勤めたり研究者になったりという私の進路に一番大きく影響した人は、間違いなくこの父だろうと思う。子どもには結構厳しい人で、2歳上の兄は学校で私よりも優等生だったが、中学生頃までつきっきりで勉強の世話を受けていた記憶がある。
私は2番目の子だったのが幸い(?)して、少なくとも勉強に関しては、小学生の頃から適度に放任してもらえていた。が、一度だけ例外があった。中3の1学期の3カ月間のことである。
小学生の頃から算数が苦手で、中2の終わり頃には「このままでは高校入試で数学が足を引っ張ることになってしまう」と思うようになっていた。その悩みを、私から父に相談したのか、志望校の話をするときに自然とそういう話になったのか、いきさつはまったく覚えていないが、中3になるのを機に、父が私の数学の面倒をみてくれることになった。
父は、ターミナル駅にある大型書店まで出かけて、高校受験用の数学の問題集を2冊買ってきてくれた。題名や詳しい中身は忘れてしまったが、同じシリーズの1冊は「基礎編」、もう1冊は「発展編」というようなペアだった。カバーはいずれも灰色っぽい地で、どちらかが緑系、他方が青系でタイトルが書かれていた。
週に1、2回程度、1年生の範囲から順に問題を解きながら、復習していくという進め方だったように思う。まるで上達しない私に、父は根気づよく教えてくれたが、1カ月、2カ月経っても、数学の苦手を克服できたという手ごたえは得られなかった。目立った効果のないまま夏休みを迎えた。
夏休みに入って、生まれて初めて学習塾に通うことにした。生徒会や部活などでそこそこ忙しい生活を送っていたから、それまで塾に通うことは考えたことはなかった。数学以外では学校の勉強に全く問題はなかったので、必要性も感じていなかった。けれども、夏休みに入って部活も引退したわけだから、ここらでいわゆる受験勉強に力を入れてみようかということで、両親が隣町の塾に通わせてくれたのである。
塾の効果は絶大だった。近所の理科大学の大学院生だった男性講師と、そのアシスタントの大学生の女性が、補習なども組んで丁寧に教えてくれた。この先生たちが考えられないくらい熱心で、教え方がうまかったこともあるし、教室で仲間と一緒に勉強するのは、家で父に教わるのとは刺激が格段に違う。1、2カ月も取り組むうちに、数学に関する不安は(得意科目にできたとまでは決して言えないが)かなり払拭されていた。
その頃には、父の数学コーチは自然と立ち消えになっていた。当時の私の中では、父に3カ月数学をみてもらってありがたかったが、実質的な効果はあまりなく、塾に通わせてもらうとすぐに苦手が克服された、という感覚だった。
出来事としてはその認識で大筋間違いはないと思うのだが、今から振り返ると、補正が必要だと思える部分がある。それは、数学の成績という面では目に見える効果はなかったけれども、中3にもなった私の数学の面倒を父が3カ月間も継続してみてくれたという記憶が、30年近く経ってもかなり鮮明だという点である。
父は1度や2度、私の質問に答えてくれたとか、気まぐれで勉強をみてくれたというのではない。当時の私の状況に合った参考書を探してくる、それを使って1年生の頃からのものを順に復習する計画を立てる、毎週1、2回ずつコツコツ進める、というような手間のかかることをしてくれた。当時40代後半で、会社員として仕事の忙しさもピークに達していたであろうことを考えると、父も相当努力をして時間を割いてくれていたはずである。
父を動かしていたのは、数学でのつまづきが原因で私の高校受験が不本意な結果になってしまうのはかわいそうだ、という気持ちだったと思う。その種の思いは、直接の効果とは別に子どもにも伝わるものだし、自分自身が中高生の親になってみて、その重みはひしひしと感じられるようになった。
ファミレスで声を荒げていたお母さんの指導も、目先の受験勉強の成果や、学ぶことを楽しむという姿勢を身につけるといった点では即効性がないどころか、たぶん逆効果だろうが、その真心は案外時間をかけて伝わるものかもしれない。
先週から今週にかけて、うちの研究室の修士2年の二人が、修士論文を提出した。そこへ至る道のりは平坦とはほど遠く、二人とも途中で投げ出したい誘惑にかられることも一度ならずあったはずだが、よくここまでこぎ着けたと思う。指導教員としてどこまで有効な助言・支援ができたかと考えると反省することしきりであるが、かれらにも、そうした直接の効果を越えたところで、長い時間かけてしみ込んでいくような形で何事かが伝わっているといいな、と思った。