mikami lab.@北海道大学 科学技術コミュニケーション研究室

北海道大学で科学技術コミュニケーション・科学技術社会論を担当している三上直之のサイトです

ファシリテーションとしての入試監督業務

大学に勤めていると、この季節、入学試験の監督業務が回ってくる。私の場合、ここ数年、大学入試センター試験にはほぼ毎年かりだされ、監督業務を担当している。

入試監督のしごとは、その名から想像される以上に幅広い。受験生がカンニングしないように見張る、というのはその業務の一部にすぎない。問題用紙・答案用紙を配付して確実に回収したり、出席者・欠席者を確認したり、本部への各種報告書類に記入したりと、センター試験であれば60分ないしは80分間の各科目の試験時間中に、しなければならないことが結構たくさんある。

加えて何かトラブルが起これば、マニュアルを遵守しつつ、しかも臨機応変に対応しなければならない。ミスもトラブルもなく終えられて当然の業務であり、逆にしくじれば、受験生に多大な迷惑をかけることになる。しでかしたヘマの内容や原因によっては社会問題にもなりかねないから、いやでも肩に力が入る。わがままな発想であることは承知のうえで、「自分の監督する試験室では何も起こらないでくれ」と祈るような気持ちで時間を過ごすことになる。

しかし、もしかしたら本当に大変なのは、何もやることがない状態が、試験時間中に必ず訪れることの方かもしれない。やるべき作業が一段落し、30分とか、場合によっては1時間近くも、いわゆるヒマな時間が生じる。

もちろん、試験時間中はつねに「監督」していなければならないわけだから、「ヒマ」な時間など1秒たりともあるはずはない。試験が順調に進んでおり手持ち無沙汰だからといって、読書をしたり「内職」をしたりといったことは、当然のことだけれど決して許されない。体調が悪くなったり、他にも何か不具合があったりして困っている人はいないかとか、万が一にも不正行為を働こうとしている輩がいないかとか、試験室内の動きにつねに目を光らせることが求められる。

しかし考えても見てほしい。警備員や警察官としての訓練を受けたわけでもない、私のようなただの落ち着きのない人間にとって、音も立てず声も出さず、じっと1時間もの間、何十人もの見知らぬ人たちの動きを見張っているなどというのは、ほとんど苦行に等しい。ずっと立ちっぱなしである必要はないのがせめてもの救いだが、それでは、と言って椅子に腰掛けてうっかり居眠りなどしようものなら大問題である。昼食後の試験時間など、とくに緊張を強いられることになる。

このように、入試監督の業務がなかなかの難事であることは、多くの大学教員の先輩方が述べていることだから、もう多くは繰り返すまい。

ここで書きたいのは、それとはちょっと違う入試監督の話である。

他の国公立大学も同様であろうが、私の勤務先(北海道大学)では、一次試験であるセンター試験と、大学が独自に行う二次試験の2種類の監督業務がある。センター試験は1月に全国一斉で行われ、受験生はそれぞれの自宅に近い会場で受験する。つまり、北大にセンター試験を受けに来ている人は、北大志望者であるとは限らない。

これに対して2月、3月の二次試験の方は、全員が北大志望者である。数年前に一度だけ、この二次試験の監督を担当したことがあり、その時のことが(少し大げさに聞こえるかもしれないが)私の大学教員生活において忘れられない思い出になっている。細部は記憶が薄れており、少し不正確な部分もあるかもしれないが、おおよそ次のような話であった。

北大の二次試験(前期日程)は、ほとんどの学部で丸1日の日程で行われる。午前中に1教科、午後に2教科の筆記試験を行う。私はその年、スポーツ科学が専門で、少し年下の同僚、T先生とコンビを組んで、ある学部の二次試験の一つの試験室を受け持った。

センター試験のときもそうだが、入学試験監督をする時に私が決めていることが一つある。それはできるだけ人間的な対応をしよう、ということである。

入学試験では、試験監督者が受験生に与えるべき指示内容がセリフのように書かれた詳細なマニュアルがある。それを一字一句間違えずに読み上げていけば、大過なく試験監督が務められるようになっている。マニュアルの完璧さにはいつも感心させられる。

ただ、状況次第ではこの「台本」を読み上げるだけでは、少し不自然になる場合がある。

ことがらの性質上、詳細をここに書くことは控えるが、一例を挙げると、試験室の中で、何かの指示を与えたり、何かを全員に配付した後、その指示が理解できなかったり、配付物に乱丁落丁などがあったりした受験生には、そのことを速やかに申し出るように伝える必要がある。

そうした場面で、台本には「何か問題がある人は、静かに手を高く挙げてください」といったセリフを発するように指示されている。とくに大教室での受験では、こうした場合、しっかり手を挙げないと試験監督に見落とされてしまう。他の受験生は、問題を解くことに集中しているわけだから、「静かに」と付け加えるのを忘れないことも大切だ。以上の条件をコンパクトに満たす、なかなか良くできたセリフである。

しかし、これをもっと小さな部屋に持っていったらどうだろうか。会場や科目によっては、人数が10人以下、場合によっては一人しかいない試験室というのもある。そういう狭い試験室で、「手を高く挙げてください」というのは明らかに不自然だろう。しかも受験者が一人であれば、手を挙げる必要すらなく、受験生の方から「すみません」とひと声をかけてもらえば済むことだし、その方が自然である。

だから、ごく小さな試験室を担当する場合、私であれば、「何か問題がある人は、静かに手を高く挙げてください」とマニュアルどおりに言うかわりに、「何か問題はありませんか。あれば声を出さず手を挙げて知らせてください」と言って、会場の受験生全員をよく見る。実際に少人数の試験室の監督も担当した経験があるが、そうした部屋で試験監督と受験生の間に良好な意思疎通がなされていれば、受験生と簡単にアイコンタクトを取れることがほとんどで、トラブルの有無は瞬時に確認できる。

人間的な対応を心がけている、というのは、要はこういう簡単なことである。その理由は簡単だ。多くの受験生にとって初めて出会うことになる大学教員が、不自然なセリフを無神経に棒読みして平然としている人物である、という残念な事態は避けたい、という思いからである。それに私は、多くの大学教員がそうであるように、普段から教室において、学生に対して、学生対教員という関係以前に同じ人間同士として敬意を持って接したいと思っている(うまくできているかどうかは別だが)。その原則は、入学試験という少し特別なシチュエーションでも貫かれるべきだと考えているのである。

さて、二次試験の監督を務めたその日も、基本は台本に忠実な安全運転で、しかしできるだけ人間的な対応、つまりはその場、その場に応じた自然な対応を心がけた。その日に私たちが担当したのは典型的なサイズの試験室であって、台本を言い換える必要はほとんど感じなかったが、棒読みにはならないように気をつけて進めた。

センター試験だと、科目ごとに受験者数が変化し、科目によってはそれなりの数の空席ができたりすることもある。しかし、この日の二次試験は欠席者もほとんどなく、受験生は1日中、満席の教室で過ごすことになった。そこで私は、暑すぎたり、逆に寒すぎたり、また息苦しさなどから気分の悪くなる人がいないかを、試験の合間などに時々、受験生らに声かけをしながら確認し、必要があればこまめに換気をした。受験生の要望を敏感にキャッチしながら、できるだけ良い環境をつくり、受験生に実力を出し切ってもらうことが、その日の監督業務のテーマになった。

そんなアプローチで接していると、午後の試験時間に入るあたりから、試験室の雰囲気が変化してきた。ぎゅうぎゅう詰めの状態で、私たちが答案用紙の配布・回収時などに机の間を歩くのも、場所によっては大変な感じだったのだが、そんなとき、多くの受験生が机を少しずらしたり、荷物を移動したりといった形で協力してくれるようになった。最後の科目の試験を迎える頃には、私の指示に対して、アイコンタクトを返してくれる受験生がかなりの割合になった。

その場には、1日の試験時間を狭い試験室で一緒に過ごす者同士の連帯感のようなものが――かれらはもちろんライバル同士なのだけれども――生まれてきたように、私には感じられた。センター試験の監督では経験したことのない感覚だった。北大の学生の半分以上は、例年、道外から入ってくる。この日の受験生の多くも、おそらくは単身、初めて津軽海峡を渡ってやって来たのだろう。18歳にとっては、十分すぎるぐらい心細い経験である。そして本番。名前は知らないが、同じような境遇の他の受験生たちと一緒に、狭い試験室の中で頑張っている。ある種の仲間意識が生じるのは、当然かもしれないと思った。

そして、その日最後となる三つ目の試験が無事に終わった。基本的には台本どおりの進行で、どうにか1日の務めを無事に終えることができた。が、人間的な対応をモットーにしている私にとって、最大の試練が訪れたのはこの後だった。

私たち試験監督が答案用紙を引き渡した後、本部では、答案用紙が確実に回収されているかの確認を念入りに行う(らしい)。1時間目、2時間目の科目は、それぞれ休み時間や、次の試験時間にその確認作業がなされるのだが、最終科目については、受験生を教室に残して、行うほかない。1日の受験で疲れきって、早く帰りたい受験生にとっては少し酷な措置だが、確実にことを運ぶという観点からは、妥当な進め方である。

本部に答案用紙を無事届けた後で、私は、試験室にいる受験生に、本部で回収確認が済むまでそのまましばらく待つよう、台本どおり指示をした。そこでシナリオは終わっていた。狂言回しは、ここに至って、筋書きなしで舞台に放り出されたのである。

もちろん、試験監督の業務としては、受験生が外に出ないようにだけ注意しながら、そのまま黙っていても何の問題もない。しかし、その場で何か言わなければ、という気持ちがわいてきた。決して素晴らしいとは言えない環境で1日頑張った受験生をねぎらいたいという思いもあった。

けれど、こういう場面で何かありがたい話ができるとか、気の利いた冗談を言えるといった芸はない。どうしようかと思いをめぐらせ、ふと、この状況を材料にできるのではないかと直感し、口をついて出てきたのは次のような話だった。

……事故などで列車がとまってしまって、いつ動き出すかわからない状況があるでしょう。今の状況も、いつ答案用紙の確認が済んで解散になるか皆さんにはわからないわけですから、同じようなものです。じつは(自分を差しながら)車掌も、いつになったら出発できるかよくわかっていません(笑)。一緒に待ちましょう。
 皆さん、きょう1日、本当にお疲れさまでしたね。今日お付き合いさせてもらった私は、この大学でコミュニケーションを教えている教員です。コミュニケーションを研究している立場から言いますと、今のような場面で少しでも皆さんの不安やイライラを解消するために大切なのは、担当者のレベルで確実にいつ解散できるかは言えなくても、今どんな状況なのかをできるだけ説明することなんですね。黙っているのはいけません。ということで、しゃべっております(笑)。今、答案用紙をチェックしている、はずです。とくにまずいことがなければすぐに解散になります……

などと話していたら、「今、答案用紙を確認中ですので、受験生はしばらく待機してください」という放送が入った。

……はい、あまり中身はありませんでしたが、本部からの説明でした(笑)。本部の人も、とにかく状況説明をした方がいいよ、という定石に沿って行動しているみたいですね……

そんな冗談で間をつないでいると、後ろの方の席に座っている受験生が手を上げた。帰りの飛行機の時間が迫っているのだという。一緒に試験監督をしていたT先生がその受験生のそばに行き、すぐに事情を聞いてくれる。20分ほどで順調に解散になったら、急げば十分間に合う時間だった。

いつも元気なT先生が「大丈夫だ! 札幌駅まで走れば、◯分発の快速エアポートに乗れる。いや待て、それだと転んだら危ないから、地下鉄の北18条駅がいいかもしれない。そうだ、北18条だ」などとアドバイスする。他の受験生たちも、どうなるのか気になって様子を見ている。私も言葉を重ねた。

「きょう一緒に試験監督をしてくれたT先生を紹介するのを忘れていました。スポーツ科学の先生で、陸上が専門ですから、T先生が『走れ』というのを真に受けて、私たちが走ったら雪の上で転んで大変なことになります。皆さんは、ゆとりを持って行動してください」。試験室にはまた笑いが起こり、ずいぶんとくつろいだ雰囲気になった。

他に飛行機や汽車の時間が気になる人はいないかを確認したが、その一人以外はいないようだった。結局、20分ぐらい待っただろうか。幸いトラブルもなく、解散の指示が出た。

帰り際、T先生と一緒に試験室の入り口で受験生を見送った。多くの人が「ありがとうございます」とあいさつしながら去っていった。私たちも、一人ひとりに「転ばないように気をつけて」とか「4月にここでまた会おう」などと声をかけて送り出した。こうして私の二次試験劇場は、退屈や苦行とはだいぶ違うかたちで大団円を迎えた。

この話には後日談がある。私は毎年、大学生にふさわしい口頭コミュニケーションのスキルを演習形式で鍛える「聞く力・話す力のトレーニング」という授業を、1年生向けに開いている。その年の冬学期、この授業を受講していた一人の男子学生が、ある日の授業後、私に声をかけて来て「先生、今年の二次試験で試験監督をされていませんでしたか? 僕、その会場で受験していたんです」と話してくれた。

私が試験監督だったことを彼がなぜ覚えていたのか、それについてどんな話をしてくれたか、少し昔の話なので残念ながらもう忘れてしまった。それでも、入試の日、私が感じた連帯感のようなものは、少なくとも私だけの思い込みではなく、彼にもどこか通じていたのだ、という気がしたことは確かである。入学試験の監督などという、およそ個性を発揮する余地もなく、求められてもいないような場面でも、思いがあれば、そしてそれを伝えようとする少しの工夫があれば、何ごとか伝えることができるのだと思い、そのことに少なからず勇気づけられた。

そのような経験をして、じつは試験監督の仕事というのは、ある種のファシリテーションなのではないか、と思うようになった。ファシリテーションとは、会議やグループ活動が円滑に進むように支援する役目のことである。その役目を担う人を、ファシリテーターと呼んだりする。

試験監督は、特定の受験生が有利になったり、不利になったりするような扱いをすることは絶対に許されない。しかし目の前にいる受験生それぞれが、持っている力を出し切ることのできるような環境を整えるべく、受験生に目配りし、声かけすることは、監督業務を担当する教員がそれぞれの流儀でやるべきことだし、多くの教員がそう心がけていることと思う。できるだけ人間的な対応をするというのが私の流儀である。そうした流儀によって試験室に存在し、受験に臨む学生らの活動を支援する、という意味では、試験監督はまさにファシリテーターではないかと思った。

受験シーズンもいよいよ本番である。一人でも多くの受験生が、試験場でよきファシリテーターに出会い、実力を十二分に発揮されますように。