mikami lab.@名古屋大学 大学院環境学研究科 環境政策論講座

名古屋大学大学院環境学研究科 環境政策論講座の三上直之のサイトです。2023年10月に北海道大学から現所属に異動しました。

ソクラテスの寝椅子のようなものに出会ったなら

もう2カ月前の話ですが,新型コロナウイルス感染症の影響で中止となってしまった学位記授与式の日に,自分の所とその近所の研究室の修了生数人のために,風通しの良い部屋で即席の学位記授与式を開きました。ごく短時間の式でしたが,式辞があった方がそれらしい雰囲気が出ていいのではということで,次のようなことをお話ししました。

卒業式の式辞を述べるなどということは,私の人生では,後にも先にもこれしかないと思いますので,記念としてここに書き留めておきます。

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はなむけのことば

 

北海道大学大学院の修士課程をみごとに修了され,それぞれの分野の修士の学位を手にされた皆さん,このたびは誠におめでとうございます。ほんの数ヶ月前,皆さんが修士論文の最後の仕上げに打ち込んでいた時には想像もできなかった,世界的な危機の中に,今,私たちはいます。こうした中で,皆さんの門出をお祝いする学位記授与式が,大変残念なことに中止となってしまいました。さまざまな困難を乗り越えて,修士課程を終えられた皆さんが,今日という日をどれだけ心待ちにしていたかを想像しますと,心中をお察しして余りあるものがあります。

式典は中止となりましたが,そのことによって,皆さんの大学院におけるこの数年間の努力と,その成果の価値はいささかも減じるものではありません。この思いは,ここにいらっしゃる指導教員の先生方や研究室のスタッフを始めとして,北海道大学の教職員一同に共通するものだと思っております。そのことを確認しつつ,改めて心からお祝いを申し上げたいと思います。本当におめでとうございます。

さて,新たな出発をされる皆さんに,一つのことばをお贈りしたいと思います。それは「職人になるな」というものです。このことばは今から19年前,自分自身が修士課程を修了した際に,学位記授与式の学長の式辞*1の中で聞いたものです。

ここで「職人になるな」というのは,現実にものづくりの仕事を担っている方々のお仕事を否定しようという話ではありません。学長の話には元ネタがありまして,古代ギリシアの哲学者,プラトンがその主著である『国家』の中で,ソクラテスが次のように語ったと伝えていることを受けた話でした。

ソクラテスはこの本の最後の方で,寝椅子を例に挙げて,何らかのものを取り上げると,三つの技術が問題になるはずだと言っています。すなわち,使うための技術,作るための技術,真似るための技術です。使うための技術がなぜ最初に挙げられているかというと,ソクラテスはこう説明しています。

「それぞれのものを使う人こそが,最もよくそのものに通じている人であり,そして自分の使うものが実際の使用にあたって,どのような善いところあるいは悪いところを示すかを,製作者に告げる人となる」

だから,使うための技術が最上位に来るのだ,と。ソクラテスは,笛を例にこうも言っています。

「たとえば,笛吹きは,笛作りの職人に笛のことについて,どの笛が実際に笛を吹くにあたって役に立つかを告げ,職人がどのような笛を作らなければならないかを命令するのであって,職人のほうはこれに仕えるわけなのだ」

同様に,真似るための技術をもった画家や詩人も,かれらが描く対象となる物の良し悪しに関する知識を,使う人ほどには持っていないと考えました。

ご存じのように,プラトンは,哲人である優れた統治者がいれば,あとはそれぞれの職人が自分の仕事に励めば国はうまく治まると考えていました。それは,ものを作る技術をもった職人が,それらを使う技術を持った統治者にひたすら仕えるという分業的な秩序が徹底している世界です。私が出席した学位記授与式は,21世紀が始まったちょうどその年に行われたわけですが,その席で学長は,そうした分業的秩序はとっくの昔に崩壊しているでしょう,と述べた上で,次のように私たちを挑発しました。

現代社会は,たやすくは解消しがたい矛盾や葛藤,雑音に満ちている。そうした社会を生きていく上では,物事の本質についてつきつめて考えずに,ひたすら仮の姿と戯れるような態度や,矛盾や葛藤,雑音,起伏といったものが取り除かれている状態を理想だと考えるような態度——こうしたものを学長は「職人」的な態度と呼んだわけですが——は,合理的でもなければ,聡明でもないはずだ,と。しかし,世の中を見渡してみるとどうだろうと,学長は続けて嘆くわけですが,政治家も,経営者も,マスコミも,そして,よそのことばかり言ってはいられず,学生も大学教授も,ことによってはこう話している学長自身も含めて,じつはそんな職人だらけになっているのではないか,そして君たちにはそんな職人にだけはなってほしくないと,そう私たちを挑発したのでした。

私自身が,「職人になるな」と要約して記憶してきた式辞が,探したところ,まだ大学のウェブサイトに残っていましたので,私が特に印象深く記憶していた最後の部分を,ご紹介します。

「研究者の道をめざすにせよ,的確に選択された職業につこうとしておられるにせよ,あらゆる情報が齟齬もきたさずに円滑に流通する状態を理想化し,それに貢献することを仕事とする職人だけにはなってほしくない。プラトンが伝えるソクラテスの寝椅子のようなものに出会ったなら,プラトンを想起しつつ,プラトンとは異なる視点をこれに向けていただきたい」

学長はこう言って,我々を鼓舞しました。

じつは私にとっては,「職人だけにはなってほしくない」というフレーズ以上に,「ソクラテスの寝椅子のようなものに出会ったなら,プラトンを想起しつつ,プラトンとは異なる視点をこれに向けてほしい」というフレーズが心に残っていました。「ソクラテスの寝椅子のようなものに出会ったなら」という部分です。

この19年間,研究や教育,その他,市民としての生活の場面で,何か新しい道具や技術,考え方に出会った時に,今,自分は「ソクラテスの寝椅子」に出会っているのかもしれない,だとしたら,それに対して「職人」的ではない,知的な視点をどのように向けることができるのか,ということを,折に触れて考えさせられてきた気がします。そして,「あらゆる情報が齟齬もきたさずに円滑に流通する状態を理想化し,それに貢献することを仕事とする職人だけにはなってほしくない」ということばは,現在のようないわゆる危機の時にあってこそ,貴重な指針となってくれているように思っています。

最初に「職人になるな」ということばを皆さんにお贈りします,と申し上げて以上の話を聞いていただいたのですが,私にとっての「職人になるな」や「ソクラテスの寝椅子のようなものに出会ったなら」ということばに相当するものを,おそらく皆さんも,数年間の大学院生活の中で先生方や先輩,友だちとの交流の中で受け取っているのではないかと思います。今一度,そうしたことばを噛み締めていただき,それらを,ご自分へのはなむけのことばとして大切にしていただきたいという願いをお伝えして,大変ささやかですが,私からのお祝いのことばといたします。

 

2020年3月25日

北海道大学大学院理学院自然史科学専攻

科学技術コミュニケーション研究室

三上直之

*1:2000年度東京大学大学院学位記授与式における蓮實重彦総長の告辞,東京大学広報委員会『学内広報』1212号(2001年4月11日発行),https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400004682.pdf,pp.11-14