mikami lab.@北海道大学 科学技術コミュニケーション研究室

北海道大学で科学技術コミュニケーション・科学技術社会論を担当している三上直之のサイトです

「趣味は何か」という質問が苦手な人としてみたい話


突然だが「趣味は何ですか」という質問が苦手である。私も含めて、そういう人は意外と多いのではないかと感じている。

本を読むのも、映画を観るのも嫌いではない。むしろ好きな方である。けれども「趣味は読書です」「映画鑑賞です」と言うほどの読書家、映画好きかと言えば、決してそうではない。趣味だと言うほど読んでもいないし、観てもいない。そう思うので、趣味ですとまで言い切るのはためらわれる。

何かもっと珍しい、特技のようなものがあれば、それが自分の趣味ですと言えるのかもしれない。だが、そういうものも持ち合わせていない。

もしかすると、「いいご趣味」を持っていると思われたいという見栄のようなものが、そんな自覚はないけれど、自分の中にあるのかもしれない。そう思うと、いささか憂鬱にさえなる。

こんなことをつらつらと考えながら、近ごろ、自分の趣味を言うべき機会には、「乗り物や徒歩で移動すること」だと答えることが多くなった。

平たく言えば旅行や街歩き、ハイキングが好き、ということであり、実際かつて「趣味は旅行」と答えていたこともあった。だがそう答えると、「それではあの観光地は訪れたか」とか、「どこそこの世界遺産はどうか」といった話になりがちである。そんな典型的な観光旅行も嫌いではないが、それこそ読書や映画の話と同じで、趣味というほどの経験や強い情熱があるわけでもない。とくに相手が「趣味は旅行」だと考えていて、それにふさわしく各地への観光を楽しんでいる人だったりすると、かえって話がかみ合わないことすらある。やがて、自分の趣味は「旅行」でもないと考えるようになった。

それでも、旅は好きである。そこであるとき、自らが旅に出るときの高揚感について、ややつぶさに観察してみた。すると、自分がいちばん楽しいと思っているのは、目的地に着くまでの過程、例えば飛行機や列車に乗って、車窓からの景色が変わるのを楽しんだり、機内や車内で飲んだり食べたりしながら時間を過ごす部分だということがわかってきた。また、飛行機や列車の出発を待つ間、大きな駅や空港で過ごす時間も、私にとっては「時間をつぶす」という感じではなく、それ自体が楽しみになっていることにも気づいた。旅行の目的地で何かを観たり、食べたり、買い物をしたりというのも楽しいけれど、自分にとっては、それらと並んで、もしくはそれ以上に、そこへたどり着く移動の過程が興味の対象なのではないか、と思われた。

移動と言えば、ここ数年、多いときには週に1、2回の頻度で飛行機での移動を伴う出張がある。この移動が、体力的にはたしかにつらいと感じられる時もあるが、ひそかな楽しみになっている。初めて訪れる土地が楽しいのは言うまでもないが、年に何十回も往復する新千歳・羽田間であっても、その時々によって、空港や機内の様子、窓から見える景色などが異なる。その変化を味わうだけでも、慌ただしい出張中のよい息抜きになる。

そこまで広げて考えたとき、路線バスや自転車、徒歩などの日常的な手段も含めて、移動するということ全般に興味や楽しさを覚えていることに気づいた。毎日の通勤でさえ、季節によって劇的に変化するキャンパス内の景色を眺めながら歩くという、一つのレクリエーションになっている。今の季節だと、晴れた日の朝に、一面の雪景色の中を歩いて通勤するのは最高の気分転換である。

そんなこんなで、「乗り物や徒歩で移動すること」というのが、自分の趣味の正確な表現のしかただ、と思うようになった。ちなみに、この長い名前の趣味は、英語ではtripというひと単語で済むのかもしれない。英語の辞書でtripをひくと*1、名詞としてのtripの説明の一番上に、“act of going to a place and returning(ある場所へ行って戻ってくる行為)”とあり、その後に“journey or excursion, especially for pleasure”と書かれている。後者なら「旅行」という和訳がしっくりくるが、しかし前者も含むtripの用例として、“a quick trip to the store(店までさっと行って戻ってくること)”などというものも挙がっている。それを考えると、「旅行」よりもずっと広い範囲を指すことばだと考えるべきだろう。私の趣味はtrip全般に近い、と言えそうである。

「趣味は乗り物や徒歩で移動すること」。この認識が自分の中では定着して数年が経つが、人に説明するときの落ち着きの悪さは感じている。そんなわけで、趣味は何ですかという問いに対する苦手意識は変わらない。

   ◇

昨年の暮れに家族でシンガポールに旅行した。英国が約200年前に植民地を開いて以来、アジア各地からの移民を受け入れながら成長してきた国である。狭い町の中で、かれらの多様な文化に触れることができるというのが、旅行ガイドブックにも特筆されているシンガポール観光の一つの目玉である。

D20 地球の歩き方 シンガポール 2016~2017

D20 地球の歩き方 シンガポール 2016~2017

旅行中のある日、地下鉄を乗り継いでアラブ・ストリート(アラブ人街)からリトル・インディア(インド人街)、そして中華街へというルートでエスニック街めぐりをした。アラブ人街ではモスクを見学して、ムルタバというアラブ風パンケーキ(というかお好み焼き?)を食べたり、インド人街ではショッピングセンターを散策したりした。

これら移民居住地は、19世紀の初めに英国がシンガポールを植民地化した頃から、計画的につくられてきたものらしい。植民地政府当局は、移民たちに対して、民族別に地域を指定して住まわせた。それは、異なる民族同士の争いを未然に防ぐことや、各民俗に自治を行わせて互いにバラバラの状態にしておき、植民地支配への不満が一つにならないようにする分割統治としてのねらいがあったとされる。

こうした背景情報は、残念ながら旅行ガイドブックにはほとんど出てこない。岩崎育夫著『物語 シンガポールの歴史』(中公新書)という本の第1章から仕入れた。

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

イギリス植民地時代のシンガポールは、東アジアの中国社会と文化、東南アジアのマレー社会と文化、南アジアのインド社会と文化の一部を切り取って、東南アジアの小さな島に張り付けた状態にあった。社会文化的にミニ・アジアの「モザイク社会」の様相を呈していたのである。そこでは、多様な民族を一つに糾合するシンボルや仲間意識が不在であり、独立国家の成立後、政府は国民を一つにまとめる社会統合のために、多くのエネルギーを注ぐことになる。(『物語 シンガポールの歴史』p.35)

エスニック街めぐりは「モザイク社会」の名残りをたどる旅でもある。この本のおかげで、歴史的な文脈を多少なりとも理解しつつ街歩きを楽しむことができた。

こうした時に思うのだが、一般的なガイドブック以外に、滞在地に関する本を1、2冊携えていくことで、旅はぐっと面白くなる。今は電子書籍があるから、持って行きたければ何冊だって持って行けるのだが、現実には旅先でそんなにたくさんの本を読んでいる時間はない。自分の好みや気分に合ったごく少数の本を持って行き、気になるところは繰り返し読みながら、旅先での経験と縒り合わせていくようなのが味わい深い。

今回は『物語 シンガポールの歴史』のほか、田村慶子編著『シンガポールを知るための65章【第3版】』(明石書店)も携えて行った。

政治経済から文化まで、多岐にわたる話題をカバーしている後者も参考になったが、やはり今回、私に一番ヒットしたのは『物語 シンガポールの歴史』の方だった。約250ページの新書判の限られた紙幅に、英国による植民地化から日本占領時代、その後の独立を経て現在に至るまでの歴史が、コンパクトに収められている。その記述は、もう一つの本などと比べると、政治・経済面にやや絞られすぎているようにも思えるが、それも自分の好みに合っていたようだ。ひととおり読み終えた後、あとがきで、著者がアジア経済研究所に長年務めた東南アジアの専門家で、シンガポールに勤務中、同地の華人女性と結婚までした人だということを知って、具体性に富んだ本書の記述に納得がいった。

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シンガポールやマレーシアに移住して、マレー人の文化や慣習を受け入れたり、マレー人と結婚したりして現地に根づいた中華系の移民たちのことを、プラナカンという。ビーズ刺繍やカラフルな陶器、中華料理とマレー料理の融合したニョニャ料理などのプラナカン文化は、旅行ガイドブックにも大きく紹介されている。先の中公新書では、シンガポールにおけるプラナカンは、モザイク社会だった英国植民地時代にあって、異民族間の接触、交流の代表例であると述べられていた。

中国風の店舗兼住宅のつくりに、西洋式の窓やレリーフ、円柱、マレー風の軒下飾りなどを折衷した「プラナカン・ショップハウス」と呼ばれる建築も、かれらの文化を象徴するアイテムだ。市街地の東部に、20世紀前半に建てられたショップハウスが美しく保存された街区があると聞き、旅の最終日、地下鉄に乗って、カトンというその町を訪れてみた。

カトンの中心部までは、最寄り駅から2キロほどある。ちょうど真昼に駅に着いたのだが、北海道から来た私たちには炎天のなか歩くのはちょっと厳しいと判断した。この旅で初めて、路線バスを利用してみよう、ということになった。

駅前のバス停で時刻表とにらめっこしていると、ワイシャツにスラックスの若い男性が話しかけてきた。ウーバー(Uber)のセールスマンだという。ウーバーというのは、アプリやウェブサイトを使った自動車配車システムである。2009年の設立後、数年で急成長し、今や世界300もの都市でサービスが展開されている。タクシーの配車だけではなく、一般人が自家用車を使って空き時間に他人を乗せるしくみも合わせて提供しているが、自家用車の配車は日本では行われていない。昨年2月、福岡市でサービスが始まったのだが、有償で人を車に乗せて運ぶ行為は法律で禁じられた「白タク」だとの指導が国土交通省から入り、1カ月ほどで中止されたことはニュース*2にもなった。

若いセールスマンはチラシを見せながら、今なら、シンガポールで初めてウーバーを使う人は、10ドル分まで無料で乗車できるというキャンペーン中であることを説明してくれた。この場でアプリをインストールして、利用してみないかと言う。私もつれあいもウーバーを使ったことはない。多少の不安はあったが、なにせ「乗り物や徒歩で移動すること」が趣味の私である。真っ昼間から危険な目にあうことはまずないだろうと考えて、最後は好奇心の方が勝った。

インストールしたばかりのアプリで、セールスマンに教えてもらいながら配車を依頼した。タクシー乗り場で待っていると、10分ほどでそれらしい車が現われる。シルバーのワゴン車。ごく普通の乗用車である。みんなで乗り込み、カトンまで送ってもらった。

運転手は、見たところおそらく50代の華人男性だった。私たちが日本から来たと言うと、このおじさんは「自分も日本は大好きで、北海道も含めて何度か旅行したことがある」とのことだった。降ろしてもらうまでは少し不安があったが、10分弱の乗車で無事にカトンの町に着いた。ニョニャ料理の名物であるラクサ(米粉の麺を魚介だしのスープで食べる料理)で腹を満たしつつ、目当てのショップハウスも訪れることができた(写真)。

中国人移民がこの土地に根づいて生み出したプラナカン文化に触れながら、運転手のおじさんの話を思い出していた。彼は、日本に何度も旅行したことがある、と言っていた。

ここ数年、日本を訪れる中国人観光客の数は急増しており、そのことは札幌の町を歩いていても実感できる。数が一挙に増えたことにより、いろいろな所で軋轢が生じている話も頻繁に聞くようになった。ただ、日本への「中国人観光客」がいったいどこから来ているのかというごく基本的なことに、私自身はあまり注意を払ってこなかった。運転手のおじさんの話を聞いて、そのことに改めて気づかされたのであった。「中国人観光客」は中国から来ているに決まっていると漠然と考えてきたが、当然ながら香港や台湾から来ている人もいる。その比率がどうなっているかについて私はほとんど無知であるし、まして町で見かける「中国人観光客」とシンガポールとは結びついていなかった。

こうなると調べてみないと気がすまない。帰国してから政府観光局のウェブサイトを開くと、すぐに求める情報が出てきた。2015年の「訪日外客数」は、国別に見ると中国が499万人で一番多いが、台湾からが367万人、香港からも152万人という数である。シンガポール、マレーシアからも30万人ずつ、タイからは80万人が訪れている。マレーシアやタイでは華人の占める割合はシンガポールと比べると小さいだろうが、これらの東南アジアの国々からも、合わせて年間10万人単位で「中国人観光客」が訪れているとは言えそうだ。

こうした数字を眺めているうちに、アジアの中での中国人の移動についてもっとよく知りたい、という興味がわいてきた。歴史的には華僑としてアジア各地に展開し、幅広いネットワークを形成してきた中国人の姿について、その意識や文化の多様性に注目しながら知ることは、日常的に町で接する「中国人観光客」について理解する手助けになるのではないかと感じたのである。そう思って何か面白い本はないかと探していると、次のような本が約2年前に出ていたことを知った。

図書館で借りて来て、まだ目次を眺めている段階だが、シンガポール華人社会における民間金融や、香港・シンガポール間の関係と送金ネットワークなどについても扱われている。東南アジアにおける華人系移民について、さまざまな角度から知ることができそうだ。自分が移動を楽しむ人間だからかどうかはわからないが、私は、人が移動するという現象自体にも強い興味があるらしい。

「趣味は何か」と聞かれるのはやはり苦手だが、この質問自体はたぶんきっかけにすぎない。もしそう尋ねられたなら、少し長くなるかもしれないけれど、今ここでしてきたような話をすればきっと良いのだ。