mikami lab.@名古屋大学 大学院環境学研究科 環境政策論講座

名古屋大学大学院環境学研究科 環境政策論講座の三上直之のサイトです。2023年10月に北海道大学から現所属に異動しました。

科学技術への市民参加 いま改めて何が課題か

滋賀大学の加納圭さんたちが進めてきた科学技術への市民参画に関するプロジェクト(PESTI)が当初の研究開発期間を終え、新しいフェーズに入る*1のを機に、先月大阪で開かれたシンポジウムで基調講演をさせていただいた。上記のテーマを20分でという依頼だったので、言いたいことを思い切って一点に絞り、次のようなお話をさせていただいた。

今日お話ししたいこと

今回はこの大事な機会に基調報告者としてご指名いただきましたこと、大変光栄に思っております。加納さんや伊藤(真之・神戸大学教授)さんを始め、関係者の皆様にお礼申し上げます。また、このたびは加納さんが率いてこられた「科学技術イノベーションに向けた政策プロセスへの関心層別関与フレーム設計」(PESTI)のプロジェクトが、成功裏に完了され、新たなフェーズに進まれるということで、皆様のこれまでのご努力に敬意を表するとともに、心よりお祝い申し上げます。

さて、今日のシンポジウムのテーマは「科学技術政策形成プロセスへの市民の参画を広げる」となっております。私は「市民の参加」「市民参加」ということばを使いますが、参加と参画、ここではほぼ似たような意味だと考えてよいかと思います。この「市民参加の拡大」ということに関して、いまポイントだと考えていることを、私自身の実践や研究の経験に基づいて手短にお話しして、皆様の議論のたたき台にしていただけたらと思います。

不十分だった「Whatの議論」

科学技術への市民参加を進めるための方法や枠組みは、これまでに色々なものが試され、一定の成果を挙げてきました。私自身は十数年前、大学院生だった頃、縁あってこの分野に関わるようになりまして、数ある市民参加のアプローチの中でも「ミニ・パブリックス型」と呼ばれる一連の市民参加の手法について、これを日本社会の中でどのように活用し、意思決定のシステムの中に組み込んでいくか、といったことについて、さまざまな実践もしながら研究してまいりました。

大学院生時代からこれまでに、この方面で携わったプロジェクトの主なものを書き出してみたのですが、テーマも色々、用いた参加の手法も色々ですが、研究 兼 実践として、本当に様々な市民参加の場づくりを試みる機会を頂いてきました。

そうした経験も踏まえて考えますと、「市民参加の拡大」ということについて、Howの部分、つまり市民参加を「どのように」拡大するか、ということについては、研究も開発も実践も一定程度進んできた、という感慨のようなものすらあります。けれども、Whatの部分はどうでしょうか。すなわち、市民参加の拡大というのはどういう状態のことを指すのか、どういった方向に向かい、どういう状態が実現すれば市民参加が拡大したと言えるのか。この点については十分な議論がなされてこなかったのではないか。この点が、きょう私が問題提起したい論点、皆さんと一緒に考えてみたい論点です。

もう少し具体的に述べますと、例えば「市民参加」というときにだれの参加が求められているのか、いま埋もれていて本当に聞かれなければならないのはだれの意見なのか▼国会議員や大臣、政策立案を受け持つ行政機関の人たちに意見が届けばよいのか、伝わった意見が実際の決定にどれほど影響力を及ぼすべきなのか▼参加の「拡大」と言うのだけれど、そこで目指されるべきなのは参加の量的な拡大なのか、それとも質的な拡大なのか、など。少し考えてみるだけでも、色々な論点があります。「市民参加の拡大」に関するこうしたWhatの論点を、How(=どのように)を追求するのと並んで、もっと深めなければならないのではないか。

私自身が携わった、いくつかの実践に触れながら、この点をもう少し具体的にお話しします。

北海道のGMコンセンサス会議

2006年から2007年にかけて、北海道庁と我々北大のチームとが協力して、北海道内での遺伝子組換え作物の栽培の是非について議論する「コンセンサス会議」を開いたことがあります*2

この問題については、生産者や農業関係の団体、研究者、消費者団体、行政関係者などのステークホルダー(利害関係者)の間では長い間議論されてきて、北海道内では栽培を厳しく規制する条例がつくられてもいました。この規制を今後も維持すべきか、それとも見直して緩めるべきかを、コアな利害関係者ではない、いわゆる一般の道民で話し合い、その結果を道の政策に生かす場として開かれました。

北海道全域から、下は10代、上は60代以上の年配の方まで、15人の市民パネルが集まって、議論しました。利害関係者はその議論には直接加わらず、求められれば情報提供する、という形で進められました。専門家が議論しても合意するのが難しい話題で、議論はなかなか紛糾しましたが、計4日間、40時間にわたって議論をし、「道民の合意がない段階では商業栽培には踏み切らない」という政策提言をまとめました。

このときは道が主催して、得られた結論を政策に生かすということを担保するとともに、会議自体の運営は我々北大のチームが担うことで独立性を確保する、ということが、比較的うまくいったケースではなかったかと思います。その証拠と言ってよいかと思いますが、北海道のGM作物栽培の条例が数年に1度定期的に見直される際には、今でもこの政策提言が参照されています。

原発・エネルギー政策に関するDP

次に、東日本大震災の翌年2012年に、原発・エネルギー政策の見直しが行われた際の経験をお話ししたいと思います。当時は前の民主党政権の時代でしたが、政府はこの問題について「国民的議論」を行って決める、ということを宣言し、そのための一つの方法として、「討論型世論調査(DP)」という我々も当時研究していた手法が公式に用いられたのです。

これは、一般から無作為に抽出した数百人の市民が、議題についての情報提供を受けた後で、グループに分かれて2日間ほど延々討論する、という方法ですが、特徴は討論会の前後に、アンケートを行うということです。このときは無作為抽出で全国から集められた約300人の人が、3回アンケートに答えました。イベントに参加する前に自宅で、それから会場に集合して討論する前に、そして討論の直後の3回です。

このときの争点は2030年時点での日本の電力に占める原発の割合をどれぐらいにすべきか、完全にゼロにするか、15%ぐらい、あるいは20-25%ぐらい残すか、という点でした。結果はこちらのグラフなのですが、討論を進むにしたがって、原発ゼロにすべきという人が増えていき最終的には約半数に上る、という結果になりました。

私自身もDPという手法を研究してきた者として、この手法がきちんと使われているかを検証する委員会の一員として携わりました。検証委員会の委員長を阪大の小林傳司先生が務められ、小林先生のもとで、阪大の八木絵香さんと協力して、検証報告書の起草をするという大変貴重な経験をさせていただきました。これまで自分たちが研究してきた手法が、国政レベルで用いられるということで、手法の運用自体について色々と厳しいことも言わせていただいたのですが、今からふりかえりますと、この討論型世論調査は、日本における「科学技術への市民参加」ということでは一つの決定的な到達点であったと、そう考えています*3

何より、文字どおり幅広い層が熟議した結果の意見が可視化されたということ、そしてそれが、パブリックコメントやデモなどの他の参加のチャンネルと相まって、原発に対する国民の不安・不信を、ポリシーメーカーたちに直視させた、ということです。

ここに一つ、非常に歴史的な文書があります。討論型世論調査が終わった後、その結果を政府としてどう受け止めるかという総括を、当時の国家戦略担当大臣が出した、その文書です。その歴史的文書には、こう書かれています。

原発をゼロにすべきとのコメントが7万7000通も寄せられたという背景、毎週再稼働反対のデモが行われている背景には、政府に対する不信と原発への不安が大きいということがあり、こうした不信や不安を解消することが最優先といえる」*4と。

政府の公式文書が「政府に対する不信」やその表現として「デモ」に言及したことは、本当に注目に値します。

いきなり古い話になりますが、安倍首相の祖父である岸信介が、60年安保の時に国会を包囲したデモについて「今、聞こえるのは声ある声だ。私は声なき声を聞きたい」と述べたのは有名な話ですが、パブリックコメントにしても、デモにしても、一部の声の大きい人が言っていることだ、として軽視されてきた。

ところが今回は違った。岸首相のことばを借りれば「声なき声」を聞く方法として、政府は無作為抽出で市民を集めて討論型世論調査をやってみたわけです。そうしたら、そのふつうの市民が話し合えば話し合うほど、原発の安全性に不安だという人が増えていくことが分かった。この結果が明らかになったこそ、政府としては、パブコメやデモの声を、一部の特殊な人の声ではなく、その背景には国民の不安や怒り、不信感がある、と真剣に受け止めざるを得なかったわけです。このことは日本の科学技術への市民参加において、決定的な出来事だったと思います。そして、当時の政権は「2030年代までに原発ゼロを実現すべくあらゆる政策資源を投入する」という政策を決定するに至るわけです。

ただ、限界もありました。その直後に政権交代があり、この結論は議論のプロセスも含めて、すべて無視され、反古にされました。日本における市民参加のプロセスの脆さが現われたと言えます。

世界市民会議

もう一つだけ、私が関わってきた事例に触れさせてください。「世界市民会議」です。これは、100人規模の市民パネルを世界同時に数十カ国で開き、それぞれで同じテーマについて、同じ情報資料、同じ会議プログラムを使って話し合う、という会議です。2009年からすでに3回行われてきており、私自身も、1回目、2回目の実施や、その結果の分析に関わりました。

何のためにこんなことをしているのかと言えば、例えば気候変動や生物多様性など、科学と政策が絡み合うグローバルな問題について、国民国家の枠を越えた市民参加、熟議のしくみを作り出したい、というプロジェクトなのです。まだ試みの途上ですが、じつは今年6月にこの世界市民会議の3回目が、「気候変動とエネルギー」をテーマとして開かれまして、その結果は、来週からパリで開かれるCOP21(第21回気候変動枠組条約締約国会議)にインプットされることになっています。科学技術への市民参加、熟議デモクラシーのグローバルな展開を象徴する動きが、このように活発になっているということも、「市民参加の拡大」とは何かということを考える上で、念頭に置いておくべきだろうと思います。

ちなみに、世界各国で同時に、条件を統一して話し合いをして、その結果を比較すると、各国のお国柄が色々と分かって興味深い。こちらのグラフは3年前に、生物多様性保全をテーマに行われた世界市民会議の参加者に対するアンケートの結果です。参加者は、基本的に生物多様性の問題に関しては特別な知識を持たない、一般の人たちなのですが、その人たちに、あなたはこの問題を議論するのに十分な知識、情報を持っていますか、ということをたずねた結果です。この質問に関しては、オプショナルな研究プロジェクトとしてやりましたので、日本と欧州、米国の市民の回答データしかないのがちょっと残念ですが、それでも比較してみると面白い。上から順に、日本、デンマーク、ドイツ、そして下の四つは米国のいくつかの州での参加者の回答です。グラフの色が濃い方、つまり左に行く方が、十分な知識を持っている、右に行くとその逆で、自分は知識が足りないと思う、というもの。自己評価がきわめて控えめな日本人、自信のあるアメリカ人、その中間のヨーロッパの人たち、という違いがクリアに出ていて面白い。つまり日本の参加者はよく言えば謙虚ですが、「知識がないと議論に参加できない」と、もしかすると必要以上に思い込んでいる面があるということが示唆されます。詳しい結果は、英語になってしまうのですが、後でお示しする参考文献に挙げる論文で述べていますので、機会があればご覧いただけたらと思います*5

真の「市民参加の拡大」へ

そろそろ話をまとめたいと思います。「市民参加の拡大」がきょうのシンポジウムのテーマです。Howについての研究開発は、この20年近くの間で充実してきましたし、加納さんたちのプロジェクトもその進歩に非常に貴重な貢献をなさったと思います。

その一方で、「市民参加の拡大」とはどんな状態なのか、何を目指すべきなのかという「Whatの議論」に関しては、日本のこの分野では十分でなかったように思います。狭義のステークホルダーだけでない、真に広範な社会層の参加が求められますし、何より、政策決定者につまみ食いの材料を与えるような手段的、形式的参加だけでは不十分です。直接に決定に結びつくかどうかは別にしても、決定に実質的な違いをもたらす可能性があるのかどうかが一つの焦点になります。それに、世界市民会議の例をご紹介したように、多国間やグローバルな規模でも参加を考える必要性もますます高まっています。

課題は山積していますが、こうした本質的な議論を避けることなく、関連する分野の蓄積なども摂取しながら深めていくことが、真の意味で「市民参加・市民参画を広げる」ということにつながると考えております。ご清聴ありがとうございました。(2015年11月28日、グランフロント大阪 ナレッジキャピタルで)

*1:すでに、加納さんを代表とする一般社団法人社会対話技術研究所(SocialDiSk)が設立され、PESTIで開発された「対話型パブリックコメント・ワークショップ」などを実施している。

*2:三上直之 (2012)「コンセンサス会議:市民による科学技術のコントロール」篠原一編『討議デモクラシーの挑戦:ミニ・パブリックスが拓く新しい政治』岩波書店, 33-60頁.

*3:Mikami, Naoyuki (2015) “Public participation in decision-making on energy policy: The case of the ‘National Discussion’ after the Fukushima Accident” in Fujigaki, Y. (ed.) Lessons From Fukushima: Japanese Case Studies on Science, Technology and Society, Springer, pp.87-122.

*4:「戦略策定に向けて〜国民的議論が指し示すもの〜」2012年9月4日、国家戦略担当大臣

*5:Mikami, Naoyuki and Ekou Yagi (2015) “Bridging Global-Local Knowledge Gaps in Public Deliberation” in Mikko Rask and Richard Worthington (eds) Governing Biodiversity through Democratic Deliberation, Routledge, pp.170-190.